20代のための新キャリア論〜ポストAI社会に求められる新教育技術を活用しよう!〜

これからの時代は、物を変化させ体を豊かにさせる科学技術よりも、観点(判断基準)を変化させ心を豊かにさせる認識技術が求められると言われています。色々と調べていけば、この世界はあなたの映画だということが分かります。映画監督のあなたは、この世界をどのようにDesignしますか?その答えを一緒に探すためのブログです。

〜コラム〜消費先導型社会の先にあるもの

私達が生きている2017年

もし、江戸時代の人がタイムスリップして、2017年に来たとしたら、どんなことを思うのだろう。

このような問いに、ふと疑問を持ちます。

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牛馬が最速の移動手段だったのが、電車や飛行機という機械的な箱移動に姿を変え、

江戸時代では一生かけないと得られなかった情報が、数分で製本される一冊1000円の雑誌に詰まり、

国司として国内トップレベルの血統と知能を有する者しか得れなかった国外の情報を、高校生が手のひらに収まる小型の道具で得れる時代。

宇宙や生物の進化に例外がないように、我々人類は、絶えず新しい発見発明を繰り返し、得たことがない世界を得ることを終始追い求め、

そんな流れに沿う形で、我々人類は、一人の人生が有限であるがゆえに、各世代に役割というものを演じてきました。

狩猟時代に生きた先人たちは、食料の限界や、生活時間の限界を突破すべく、火の発見を逃しません。

火の発見を以てして、我々人類の進化が大いに進んだことは言うまでもないでしょう。

また、生物を主たる労働力としていた時代、生命という不安定な労働力に限界を超えるべく、蒸気機関の発見を逃すことはなく、蒸気機関の応用により、産業革命が齎した恩恵は計り知れません。

我々は限界を突破することで進化を遂げ続けます。

これは、種が耐えない為にも、最も必要なことなのです。。

限界に気づかず、もしくは見ないふりを続けるようであれば、いつの時代も時代の中心にいることはできず、観客者として時代の変化をただただ眺め、不満を漏らしているのは、人類500万年間で見飽きた光景ではないでしょうか。


私達は、限界を感じなくてはいけません。

ただただ限界と向き合わなくてはならないんです。

なぜなら、それが魂の進化であり、心が最も喜ぶことだからと言えるでしょう。

では、私達が向き合うべき限界とは何でしょうか?

切りがない諸問題のうち、まずひとつに挙げれることが、超高度資本主義社会における生産過剰の問題だ。

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生産過剰。

この言葉が意味することは何なのでしょうか?

私達は、インプットとアウトプットを繰り返して生命活動や精神活動を行っています。

例えば、食事を食べ、決まって排泄をします。これこそinとoutです。

また、学びを得れば、それを教えることができます。消費するから生産できるんです。

光がれば影がある。結果があれば、原因がある。

私達が生きる世界は、このように必ず2極性をもっています。これは、太古の中国王朝から云われている紛れもない事実。

であるがゆえ、何が言いたいかというと、私達の経済は、決まって生産と消費がセットであるべきなんです。

しかしながら、私達の身の回りに起きている問題とは何なのだろう?

それは、消費が起きないことであり、生産と商品が極端なアンバランス状態であることがいえます。

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生産過剰という問題は存在しない。
あるのは、消費が起きない現実なんです。
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このことに気づくか否かが、パラダイムシフトを起こす主役になるのか傍観者になるのかの大きな違いになります。

モノクロのTVが世界に誕生したとき、どれほどの激震が社会に起きただろう?当たり前のように高額所得者はその活動写真が靡く箱を得て、誇らしげに家に設置していたはずです。その一台さえ持っていれば、たちまち子供たちは鼻高々に同級生に自慢し、あたかも自分がヒーローであるかのように錯覚していたに違いありません。

瞬く間にその感動は伝染し、社会におけるTV普及率は約99%になりました。

だがしかし、現代を見渡せばどうだろう?今新しいタイプのテレビを売ったところで、誰もが手のひらで映画を見える現代にてそれは売れはしないはずです。

ニーズがあるから、消費はおきる。

そのニーズを掴めていない状況で、消費を斡旋すべく紙幣増刷することは、元栓が空いている浴槽にお湯を注ぎ続けるぐらい元も子もないことをしていると言えます。

さとり世代と言われる世界最先端の人類種に、アメリカンドリームが映える夢を魅せたところで、拒絶されるに違いない。

既に、私達のある意味先輩でもある新人類達は、違うニーズを持っています。

所有の豊かさより、つながりの豊かさ
未来の安心より、今ここの安心
物の開発より、心の開発

様々な変革が起こっているのが、現代社会です。高校生が、動画で量子力学を一人で学べる時代ということを忘れてはいけません。

にも関わらず、既存の幻想的ニーズに狙いを定め、イメージ先導型の広告戦略を必死に行うしか脳がない後進者たちは、偽善のお題目を唱えながら懸命に環境破壊を行っている。

いったい誰のために、そんな生産過剰を行い、そんな環境破壊を行うんだろう?

我々消費者は、賢明にならなくてはならない。優れたものを持ったところで、幸せにはならない。そのことに早く気づき、洗脳的広告活動の手のひらで踊らされてはいけないのだ。早く舞踏会場から抜け出さなくてはならない。

そのためにも、私達は、変わらなくてはいけない。変わらない私達は後世に何を残すのだろう?

今ここの選択の結果が、未来を決定することを知ろう。